プロフィール
先代の新田玲子は昭和52年、大手化粧品メーカーのチェーン店を開業しました。
それから10年。
あるお客様から言われた一言がきっかけで当時珍しかった「スキンケア」の世界に足を踏み入れます。
そのきっかけは友人であり、お客様である方からの一言。
「あなたの顔のシミが治ったら、その美容クリームを買うわ」
何気ない一言だったのかもしれませんが、玲子には衝撃の一言。
「見えていないと思っていたこのシミ。うまく隠せていると思っていたシミ。まさか見えているなんて!?」
当時はシミが出来てしまったらそれを隠しながらつきあっていくしかない、と化粧品メーカーに指導されていました。
だからシミを目立たなくさせるために、コンシーラーなど4種類のファンデーションを使って懸命に隠していました。
化粧がうまくなればなるほど、化粧を落とした時の顔とのギャップが大きくなる。
夜の顔と昼の顔が違うことは、ナチュラル志向の玲子には不満でした。
その昼の顔もお客様の厳しい視線にさらされ、10年経営してきた自信がガタガタと音を立てるように崩れてきたような気持ちでした。
「このまま化粧品店を続けていけるのだろうか?
化粧品店は夢を売る商売。店主がきれいであってこそ、お客様はついてきてくださる。
このままどんどんシミが濃くなって老化したら、お客様もあきれていなくなってしまうのでは」
そんなあせりと悩みでいてもたってもいられず、シミに良いと言われればどこへでも出かけました。
ある輸入スキンケアの勉強会で知り合った楠見侑子氏との偶然の出会いがその後のスキンケア人生を変えました。
楠見さんはもっと深刻な悩みをお持ちで、化粧品の油と香料が原因のリール黒皮症に認定された化粧品公害の被害者でした。
お会いした時は同じシミの悩みを持って日本中、そして世界中に情報を求めてついには「皮膚のこと、化粧品のことを勉強すればするほど女性が安心して使える化粧品はどこにも存在していない。私が作るしかない!」と決心された直後でした。
玲子は「楠見さんが化粧品を作るなら、私は売る方を担当するわ。」と約束をしました。
それから数年の後、世界でも稀有な素肌を美しくするスキンケア、イナータスが誕生したのでした。
玲子はその試作品を半顔だけ試し、自分の顔で実験しました。
それは驚くべき結果が判明しました。
今まで10年以上悩んできたシミが薄くなったのです!
1か月後、そのイナータスを使った半顔の変化に驚きそれ以来、ファンデーションを脱いで素肌生活を伝道し始めました。
楠見さんとの約束を守り、このイナータススキンケアを販売し始めました。
それが1990年のことでした。
当初は、化粧品店のお客様みなさんにそっぽを向かれるような感じでした。
今まで売っていたファンデーションなどの化粧品では決して素肌はきれいにならない、これからはスキンケアの時代です、とひとりひとりにお伝え始めたのですから。
玲子の素肌の変化、シミがどんどん取れていくにつれ、お客様の支持も戻ってきました。
岐阜県恵那市という人口3万人の小さな町でこの素肌美の輪は500人以上に広がっていきました。
楠見さんに縁して玲子に縁して素肌美生活を始めたお客様は岐阜県だけでも数千人の輪になっていきました。
以来、ファンデーションは晴れの場などTPOに合わせて極力つけない。
そしてふだんの生活や仕事の場ではスキンケアを使った素肌美生活を提唱しています。
20年が経ち、40代から60代になった今、化学薬品で傷んでいない素肌の有難さを日々、感じています。
5年も10年も20年も、石油系化学薬品にまみれた化粧品を肌に乗せる生活を、女性は安心して送ることができるでしょうか?
家族や健康のために食生活の安全を気にする女性は多いと思います。
この気持ちを今一度、素肌のほうにも向けていただきたい。
20年が経った今、当時のお客様も一緒に年を経てきました。
「玲子さんに出会えてよかった。素肌美エールに出会えてよかった」
そんな風に言っていただけるお客様と一緒に育ってきました。
インターネットで素肌美エールに出会われた皆様、ぜひ素肌美生活を始めませんか?
素肌は守られるべき自然の一部。
あなた自身を大切にすることと自然を守ることは同義です。
本当の価値に目覚めて、10年後20年後の素肌を今から育てていただきたいと思うのです。
前に出る一歩の勇気をお出しください。
素肌美エールは必ずお客様の横にいて、素肌美への挑戦のサポートをさせていただきます。
あなたの伴走者として。
それから10年。
あるお客様から言われた一言がきっかけで当時珍しかった「スキンケア」の世界に足を踏み入れます。
そのきっかけは友人であり、お客様である方からの一言。
「あなたの顔のシミが治ったら、その美容クリームを買うわ」
何気ない一言だったのかもしれませんが、玲子には衝撃の一言。
「見えていないと思っていたこのシミ。うまく隠せていると思っていたシミ。まさか見えているなんて!?」
当時はシミが出来てしまったらそれを隠しながらつきあっていくしかない、と化粧品メーカーに指導されていました。
だからシミを目立たなくさせるために、コンシーラーなど4種類のファンデーションを使って懸命に隠していました。
化粧がうまくなればなるほど、化粧を落とした時の顔とのギャップが大きくなる。
夜の顔と昼の顔が違うことは、ナチュラル志向の玲子には不満でした。
その昼の顔もお客様の厳しい視線にさらされ、10年経営してきた自信がガタガタと音を立てるように崩れてきたような気持ちでした。
「このまま化粧品店を続けていけるのだろうか?
化粧品店は夢を売る商売。店主がきれいであってこそ、お客様はついてきてくださる。
このままどんどんシミが濃くなって老化したら、お客様もあきれていなくなってしまうのでは」
そんなあせりと悩みでいてもたってもいられず、シミに良いと言われればどこへでも出かけました。
ある輸入スキンケアの勉強会で知り合った楠見侑子氏との偶然の出会いがその後のスキンケア人生を変えました。
楠見さんはもっと深刻な悩みをお持ちで、化粧品の油と香料が原因のリール黒皮症に認定された化粧品公害の被害者でした。
お会いした時は同じシミの悩みを持って日本中、そして世界中に情報を求めてついには「皮膚のこと、化粧品のことを勉強すればするほど女性が安心して使える化粧品はどこにも存在していない。私が作るしかない!」と決心された直後でした。
玲子は「楠見さんが化粧品を作るなら、私は売る方を担当するわ。」と約束をしました。
それから数年の後、世界でも稀有な素肌を美しくするスキンケア、イナータスが誕生したのでした。
玲子はその試作品を半顔だけ試し、自分の顔で実験しました。
それは驚くべき結果が判明しました。
今まで10年以上悩んできたシミが薄くなったのです!
1か月後、そのイナータスを使った半顔の変化に驚きそれ以来、ファンデーションを脱いで素肌生活を伝道し始めました。
楠見さんとの約束を守り、このイナータススキンケアを販売し始めました。
それが1990年のことでした。
当初は、化粧品店のお客様みなさんにそっぽを向かれるような感じでした。
今まで売っていたファンデーションなどの化粧品では決して素肌はきれいにならない、これからはスキンケアの時代です、とひとりひとりにお伝え始めたのですから。
玲子の素肌の変化、シミがどんどん取れていくにつれ、お客様の支持も戻ってきました。
岐阜県恵那市という人口3万人の小さな町でこの素肌美の輪は500人以上に広がっていきました。
楠見さんに縁して玲子に縁して素肌美生活を始めたお客様は岐阜県だけでも数千人の輪になっていきました。
以来、ファンデーションは晴れの場などTPOに合わせて極力つけない。
そしてふだんの生活や仕事の場ではスキンケアを使った素肌美生活を提唱しています。
20年が経ち、40代から60代になった今、化学薬品で傷んでいない素肌の有難さを日々、感じています。
5年も10年も20年も、石油系化学薬品にまみれた化粧品を肌に乗せる生活を、女性は安心して送ることができるでしょうか?
家族や健康のために食生活の安全を気にする女性は多いと思います。
この気持ちを今一度、素肌のほうにも向けていただきたい。
20年が経った今、当時のお客様も一緒に年を経てきました。
「玲子さんに出会えてよかった。素肌美エールに出会えてよかった」
そんな風に言っていただけるお客様と一緒に育ってきました。
インターネットで素肌美エールに出会われた皆様、ぜひ素肌美生活を始めませんか?
素肌は守られるべき自然の一部。
あなた自身を大切にすることと自然を守ることは同義です。
本当の価値に目覚めて、10年後20年後の素肌を今から育てていただきたいと思うのです。
前に出る一歩の勇気をお出しください。
素肌美エールは必ずお客様の横にいて、素肌美への挑戦のサポートをさせていただきます。
あなたの伴走者として。